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偏向NHK、安保闘争を特集「日本が怒りに覆われた」← 当時、学生運動肯定・安保反対派は数%(一部の熱狂者)成立後、自民党は大勝






https://ja.wikipedia.org/wiki/ 安保闘争

自然成立後

条約は参議院の議決がないまま、6月19日に自然成立した。またアイゼンハワーの来日は延期(実質上の中止)となった。岸内閣は混乱を収拾するため、責任をとる形で、新安保条約の批准書交換の日である6月23日に総辞職を表明した。岸首相は7月15日の総辞職の前日、暴漢に襲撃され重傷を負った(ただし、犯人は大野伴睦と縁のある人物で、動機は安保問題ではなく岸が大野へ政権を禅譲する密約を反故にしたことによると見られている)。

「60年安保闘争」は空前の盛り上がりを見せたが、戦前の東條内閣の閣僚でありA級戦犯容疑者にもなった岸首相とその政治手法に対する反感により支えられた倒閣運動という性格が強くなり、安保改定そのものへの反対運動という性格は薄くなっていたため、岸内閣が退陣し池田勇人内閣が成立(7月19日)すると、運動は急激に退潮した。

池田勇人内閣は所得倍増計画を打ち出し、社会党も経済政策で対抗したため、安保闘争の影は薄くなっていった。さらに、7~8月に行われた、青森県・埼玉県・群馬県の各知事選で社会党推薦(埼玉では公認)候補は惨敗(山崎岩男、栗原浩、神田坤六が当選)。総選挙でも自民党圧勝の雰囲気さえ出てきた。10月12日、社会党の淺沼委員長暗殺事件で再び政権は揺らぎかけたが、池田首相は動揺を鎮めることに成功。11月20日の総選挙では、社会党と民社党が互いに候補を乱立させた影響もあり、自民党は追加公認込みで300議席を獲得する大勝を収めた。安保条約の改定が国民の承認を得た形になり、2022年現在まで半世紀以上にわたり、安保条約の再改定や破棄が現実の政治日程に上ることはなくなっている。










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